あっこゴリラ✕永原真夏。タイプが異なる二人のそれぞれの「セルフケア」
自分を大切にするってむずかしい。一緒に話そう
vol.3
MEGLY編集部
生まれ持った属性や、その時々に拠って立つ場によって、ときに自分の感じ方をしまい込んでしまったり、自分がとるに足らないものであるかのように感じられてしまったりすることがあるかもしれません。一人ひとり異なる私たちが、それぞれに自分を大切にしながら生きてゆくためには、どうすればよいでしょうか。
変わってゆくべき社会の構造にも注意深く目を向けつつ、一人ひとりに可能な実践についても考えていきたいなかで、今回お話を伺ったのはラッパーのあっこゴリラさんと音楽家の永原真夏さん。日頃から親交が深いもののタイプの異なるお二人は、自分をケアする方法も一様ではありません。そんなお二人が自分自身、そして他者を尊重するために心がけていることについて、のびやかに語り合いました。
痴漢にあったとき、生理になったとき。二人が「自分を大切にできていない」と感じたときの対処法
─性別、年齢、国籍、職業、セクシュアリティなど、私たちはさまざまな属性にそれぞれ属しながら生きていますが、お二人はこれまで属性によって自分を大切にできていないと感じた経験はありますか?
あっこ:痴漢とか。痴漢の被害にあった人がさらに「夜にそんな露出の多い格好で歩いているからだ」とまだ言われたりしていますよね。絶対に悪いのは痴漢なんだけど、そこで「そうなんだ、私がそういう格好をしたからいけないんだ」じゃなくて「いや、私はどんな格好をしてもいい! 当たり前に痴漢行為がまかり通っているのがおかしい」と思えるかどうかは、まず知識が大事だと思う。でも、知識を得られるかどうかはその人の置かれている状況によると思うんですよね。だから私の「マグマ」という曲でも「金と知の格差で決まる価値観」と言っているんです。
永原:むしろ社会のシステムを変えるべきなのに、そういうことが機能していないと思いますよね。自分の尊厳を疑うレベルの状態になることでいうと、私は生理のときです。生理のときは自分が考えていることが正解かもわからない。「自分がバグってるからこんな風に考えちゃうのかな? それともこれって本当によくないことなのかな? あの人が言ってたことってああいう意味だったのかな? あのときの打ち上げでみんなに嫌われたかなあ……」とか延々考えちゃう。バンドをやっていたときはメンバーの子と生理二日目がかぶると、関ヶ原の戦いみたいな気持ちで二人してライブに挑んだりしてた。
あっこ:(笑)。
永原:試行錯誤しながらなんとか乗り越えてきたけれど、自分がお付き合いする方に生理のことについて説明をしようとしたときに、難しいと感じたことがあって。生理の経験がない人がこの状況を想像するためには、最初に引っ掛けるフックみたいなものがないと想像が及びづらいのかなと思うんです。過去に「生理中だけ別れたい」とか、生理でお腹が痛いときに「病気だもんね」と言われたことがあって。気を遣って言ってくれたのかもしれないけど、その人の性格の良し悪しは関係なく、わからないから間違えてそういうことを言ってしまうんですよね。それで「自分が生理でイライラしてしまうことを絶対になんとかして抑えなきゃいけない。じゃないとその人に嫌われる!」と思っていたことがありました。公衆トイレで泣きながらアロマオイルを吸ってなんとか気分を変えようとしたり……(笑)。
─そうした時期があったことをいまは客観的にお話しされていますが、一歩引いた視点から見られるようになったのはどうしてですか。
永原:やっぱり私は友達の存在が大きくて。女友達にいまみたいな話をすると、みんなどうやって生理期間を乗り越えているか興味があるから「そのアロマオイルってどこで買ったものなの⁉︎」って聞かれるし、みんなの知識がどんどん集結してきて、「漢方は絶対にあそこのやつがいい」「こういうものを食べるといいらしい」みたいな情報が入ってくるんです(笑)。それによって自分が大変な状態のときにキャッチした情報がものすごく有益なことに気づきました。周りのみんなが共有してくれることで、堂々と自分の状況について喋れるようになったり、自分のことも受け入れられたところがあります。
あっこ:なるほど、すごく真夏さんらしいね。女友達と連帯しあって助け合うのってめっちゃいいなと思った。私は生理にかんしては自分の周りの男性を「教育」するというやり方をしてきたな。がんがん環境を変えていくというか。
永原:確かにそれもありだと思う。
─実際にどんなふうに「教育」していったんですか?
あっこ:とにかくどんどん言っていくという方法ですね。「私は今日生理で、生理とはこんなにも辛いことなんだ」って説明する。バンドメンバーも夫も理解してくれて、みんな優しいです。理解してくれない人はあんまり自分の周りにはいないけど、もしいたらなるべく自分のテリトリーに入れないようにしてる。こういう職業だからできたことかもしれないですけど。
無理をしないことだけがセルフケアではない。自分の自由をちゃんと自覚できているか
─最近、セルフケアの必要性が語られることも多いですが、一口にセルフケアと言ってもさまざまな方法があると思います。お二人はどのようなことを心がけていますか。
あっこ:生理のときだけは息をしているだけで素晴らしいと思って自分を甘やかしてる。あとは理不尽すぎる社会構造にぶちあたるときとか、反射的に「実力不足」と思い込んでしまう癖があって、そこをしっかり見定められるようにしたいと意識してる。あと、周りに頼りまくる。
でも、物作りにおいては自分を甘やかさないですね。私は「あっこちゃん無理しないで」ってよく言われるタイプだから、「私って無理してるのかな?」と思ってセルフケアについてじっくり考えてるんですけど。でも私の大切は、私だけのものだから。最近の流行りとして「無理をしない」ということがよく言われるけど、ストレスへの対処の仕方はいろいろあると思います。
─無理をしないことだけがセルフケアではない?
あっこ:もちろん嫌々やらされているようなことについては、また別の話だと思うけど、人からは無理をしているように見えても、自分で選んでそうしている場合もあるかもしれないと思います。だから私は、自分で自分をちゃんと把握してあげることが、自分を大事にするということかなと思う。自分が自由でいられる状態をちゃんと自覚できているか、自由であるという意識をちゃんと持てているか、そういうことかもしれない。あとは普通に適度な運動も大事だと思う。筋トレ、運動、ストレッチ。ずっとラップを続けるために、30歳を超えてからその三つはやるようになりました
永原:私もランニングはします。
─取り入れてみたことによる変化などはありましたか?
原:全然違います! もともと超引きこもりで、運動なんて絶対ノーサンキューって感じだったんです。でもやってみたら、運動した後は自動的にアッパーになって「おはよう!!!!」って大きな声で言いたくなっちゃう感じ。
─走ろうと思ったのは何かきっかけがあったんですか?
永原:コロナ禍でライブが減ったので、ちょっと走ろうかなって。あと私は食べることが好きなんですけど、お腹がぐーぐー鳴るほど空いてる状態で食べる機会が減ったなと思ったのもきっかけでした。正直、普段は15分くらいしか走っていなくて、20分や30分は走らないと脂肪燃焼しないと言われますけど、それはいったん置いといています(笑)。音楽を聴きながら3曲分走るだけでも全然違うんです。
あっこ:超ダウナーなときに、お風呂で長湯したりエステに行ったりするようなリラクゼーション系のことをやるんじゃなくて、あえて運動するとすっきりするっていう感覚はわかる。
永原:でも、走る気力もないときや、暑すぎて走れないときもあって、そういうときは、心にちびまる子ちゃんを住まわせるようにしているんです。「(ちびまる子ちゃんっぽい口調で)私みたいなやつにこんな思いをさせてくれて、むしろありがたいよ」とか心の中でやってみると、めっちゃ面白くなってくるんですよ(笑)。嫌なことを言われたときにも、言った人の周りに脳内でどろーんと人魂を描いてみたり、口に出す言葉も「ぎょっ、やばいやつが来た!」って漫画の台詞っぽくしてみたり。そういうことをやってみると結構いいです。
─たしかに嫌な目にあったときって、直球でそれを受け止めてしまうと辛いけれど『ちびまる子ちゃん』のイメージを持ち込むと世界観が変わるというか。フィクションの効用ですね。
永原:例えばイマジネーションの作画がゴダールだったら、ゴダール的な世界観に入りますよね。想像の中で自分の絵柄を変えるのは大事だと思います。
あっこ:確かに肩の力が抜けそう。でも私は『ちびまる子ちゃん』を宿せないタイプかもしれない。
自分を尊重しがちか、他者を尊重しがちか。人それぞれの生きてきた姿があるなかで
─今日お話を聞いていて思ったのは、あっこちゃんは自分を追い込んだほうが心地よいところがありますか?
あっこ:追い込まないと物作りできないですからね。そういった心のマッチョイズムが音楽活動においてのみ、自分の場合はあると思う。その作業は楽しいですね。それ以外の時間に自分を甘やかしまくったり、人に頼りまくったりしてバランスとりたいと思ってる。まだまだ下手くそだけど。
─お二人の自分を尊重する方法がまったく違っていて、異なるタイプのお二人のお話を聞けてよかったと思っているのですが、人それぞれのやり方があることを尊重していくために、お二人が心がけていることはありしますか?
あっこ:新しい価値観がどんどん生まれているじゃないですか。そんななかで、属性によって誰かを差別したり、傷つけたり、決めつけるようなことについては、すぐさま反省して直したほうがいいと思う。でも、休み方のような自分自身の個人的なことにかんしては、正しいとされているものに無理して合わせるのではなく、自分の軸を忘れないようにした方がいいと思います。私は正直なところ、メディアで「どうやって自分を大事にしていますか?」って聞かれることにすごく苦手意識があって。「こういう答えが求められているのかな」っていう感覚がなんとなくわかっちゃうんだけど、その答えが自分にしっくりこないなって。
─それはさっきお話に出てきた「無理しなくていいよ」みたいなことですか?
あっこ:そうそう。「無理しなくていい」に無理して合わせなくてもいいよって私は思う。そうやって「自分は違う」と感じたときに、「じゃあ自分はどうなんだ」って考えることがやっぱり大事で。読者の方で私みたいなタイプは少数だと思うんですけど、「違っても大丈夫」って言いたい。モードもすぐ変わるしね。もちろん本当に無理をしていて寄り添ってあげた方がいい人もいると思うから、「あなたはそうじゃないんだね」「私は今はこのやりかたが幸せなんだよね」ってナチュラルに話せたらいいよね。
永原:私は他者の尊重ってあんまり上手じゃない方なんですよね。いまだにどうしたらいいかめちゃくちゃ考えているけれど、いろんな人間のいろんな考え方をそのまま受け入れることが尊重につながる一方で、他人のことなんて考えずにがんがん進む人や考え方が、さまざまなシステムや発明を生み出してきて、そういうものの恩恵を受けて生きているのは確かだと思うんです。やっぱり全員が全員を大切にすることは難しくて。
でも、少なくとも私の人生経験上で見えた景色の中で尊重したい人間はいる。どうしても自分のイマジネーションの中でしか生きていけないので、視野を広げながら、せめて自分の目に映る範囲のものに思いやりを持ちたいと思っています。それはなぜかというと、私が一人だと生きていけないからというシンプルな理由なんですよ。言い方がすごく難しいんですけど、思い合っていかないと未来がないと感じた瞬間があって。思いやりや相手を尊重することって技術だと思っているので、鍛錬と知識が必要で、一生懸命やりたいと思っているところです。なので「情報求む」と思っています(笑)。
あっこ:真夏さんの話を聞いていて思ったのは、私はそもそもどちらかというと他人の方を尊重しがちなタイプで。自分のせいにする方が楽だと感じてきたから、そういう人の気持ちがよくわかる。だから「絶対に自分を手放しちゃだめだよ」っていうメッセージを発信することが私としてはリアルに響くんです。でも真夏さんはそこが逆なんですよね。真夏さんが私とはアプローチが違う理由がよくわかるし、読者さんもどうやって生きてきたのか、どういう環境にいるのかによって、絶対に違うと思います。
永原:確かにそうかもしれないね。あっこちゃんは長く私のことを見てくれているからわかると思うんだけど、私の場合は、自分の好きなように振る舞い続けることが多かったんです(笑)。それが結果的に同じポイントで交わっているんだと思う。同じ一点ではなくて、もうちょっと大きな円の中を一緒にめがけていくような感覚を共有しているから、あっこちゃんとは同じ温度感で生きられているような気がします。
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あっこゴリラ✕永原真夏 誰かや何かに奪われず、自分で選んで生きていく | me and you little magazine & club
取材・文:松井友里
撮影:山本佳代子
編集:竹中万季(me and you)