SIRUPと中里虎鉄が語り合う。「男らしさ」とどう向き合ってきた?
自分を大切にするってむずかしい。一緒に話そう
vol.2
MEGLY編集部
「男なんだから」「女なんだから」「みんなそうしてるんだから」。そんな言葉に自分自身のなかにある個人的な部分がないがしろにされていると感じたり、何かを押しつけられている気持ちになったりしたことはないでしょうか。
そんな空気がどこかしこにあるなかで、自分をどうやったら大切にできるのでしょう。今回は、ノンバイナリー、マセクシュアル(性自認を問わず、性的指向の対象が男性であること)を自認し、性別男女二元論や異性愛を前提とした社会の枠組みをときほぐす活動をしているフォトグラファー/エディターの中里虎鉄さんと、さまざまな格差に目を向けながら、構造を捉えて一人ひとりが行動できるような言葉を投げかけているミュージシャンのSIRUPさんが対談。「男らしさ」や特権性、のびやかに生きるための学びやマインドセットについて伺いました。
他者から課せられる「男性らしさ」と、自分で課してしまう「男性らしさ」
ー虎鉄さんはノンバイナリーを自認される前に、そしてSIRUPさんは現在進行形の自らの立場を問う形で、「男性らしさ」と向き合ってきたかと思います。お二人のなかで、自分が「男性らしさ」に縛られていると感じたり、あるいは実は男性的な特権性を享受していたんだなと感じたりした経験があれば教えてください。
虎鉄:2018年に男性解放をテーマに展示をして、ZINEを作ったのですが、当時はまだ自分がノンバイナリーという言葉と出会っていなくて、自認する前で。たぶんずっとノンバイナリーの状態であったはずなんですけど、言葉を知らなかったこともあり、自分の感覚が社会や他者から認められるとも思わなかったし、身体に対する違和感もそこまで大きくなかったので、「自分は男性なんだ。男性として生きなくちゃいけないんだ」って自分に課していたところはすごくあって。そう考えると他者から課せられる「男性らしさ」という圧力と自分で課してしまう「男性らしさ」の両方があったと思います。
—他者から課せられた「男性らしさ」について、可能な範囲でお話しいただけますか?
虎鉄:いちばん強く感じたのは父ですね。息子として強くあってほしいとか、独立してほしいとか、そういったプレッシャーは小学生のときから感じていました。父が求める息子像と違う選択をしようとすると、「女々しい」とか「それは男が選ぶものじゃない」と言われてしまったり。ただ、少しずつフェミニズムを勉強し始めて、フェミニズムって女性のためだけのものではなくて、すべてのジェンダーのためのものだし、家父長制度や男性優位社会の影響で苦しんだり虐げられたりしている人たちを救うための考えだと考えるようになりました。
それで、当時は女性に対するジェンダー規範を解放していくことも大切だと思いつつ、自分が男らしさから解放されたいという思いも強くて『ダンセーカイホー(Men’s Liberation)』というZINEを作ったんです。でも、ノンバイナリーだと感じ始めてから、自分は男性じゃなかったからその活動によって解放されることはなかったし、自分に男性であることを課していたからずっと苦しんでいたんだなとも気づきました。ただ、ノンバイナリーを自認し始めてからも、初めて会う人からシスジェンダーであることを前提に男女どちらかに振り分けられたり、ゲイセクシュアルの人と恋愛や身体の関係性を築こうとするときに、性的対象として男性であることを求められるプレッシャーによる苦しみは感じ続けています。
SIRUP:僕の場合は母子家庭だったので、父親がずっと家にいることもなかったですし、自分のセクシュアリティについても、「考えていない状態」が結構居心地がいいということもあり、まだそこまで考えていないところがあって。そんななかで、2019年の年末ぐらいに出会ったアクティビストで、今僕の海外のエージェントをやってくれている子に出会ってすごく影響されて、アーティスト活動も変化していきました。
—どんな影響があったのでしょう?
SIRUP:出会ったから変化したというよりは、その子からいろんな話を聞くことで、自分の心のどこかにずっとあった疑問がクリアになっていって。振り返ってみると自分はいわゆる男社会にずっといたんですよね。そのなかでミソジニー的な発言があったときに、自分の本心というよりも周囲に同調して発言していた自覚もすごくあって、なんだか嘘をついているような違和感があったことに気づきました。あと、初対面の人に性的なことばかりを質問されたことがあり、その感覚が得意じゃなかった時期があって。それをさっきのアクティビストの子に話したら、日常的に性的な視線を向けられることが当たり前で、会話のなかでも性的な対象としてジャッジをされるというのは、女性が多く経験していることであると言われ、衝撃を受けました。それまで自分が「男性として生きてきたことで見えないものがあったんだ」という特権性に気がついたんです。
虎鉄:男性であることを主張して男性っぽいとされている見た目や言動をとれば、男性以外のジェンダーの方々が受ける差別や苦しみを感じずに生きていけるっていうのは、男性という戸籍と身体の特権だなと僕も思っています。髪が長かったときは女性に見られてナンパされたことが何度かあるんです。「どこから来たの?」から始まって、「彼氏いるの? 結婚するの? 子ども産むの? 産んでここに永住してほしい」って。そういうやりとりがちょっとストレスだったのもあって髪を切りました。で、短髪になったら男性として見られるようになり、そうするとやっぱりナンパみたいなシチュエーションって起こらないんですよ。圧倒的に女性が性的に消費されることを許容している社会があるってすごく感じました。そもそも男性だと感じていないのに男性特権を自分が所持していること、所持し続けないといけないことに対しての苦しみはあるなと感じています。ノンバイナリーとして戸籍や社会で存在を認められることは現状ほとんどないですからね
一人ひとり異なる価値観やペースが存在するなかで、他者とかかわる難しさとどう向き合ってる?
ーSIRUPさんが衝撃を受けたように特権的なことって気づきにくい部分もあると思います。そのようななかで、言語化には至らなくとも違和感やモヤモヤを感じたのはなぜだと思いますか?
SIRUP:僕の場合、子どもの頃からの性格もあるなと思うのですが、シンプルにアーティストとして変わっていかないと停滞感があるし、次のステージに進んでいくときに変化を選択していくことに大きな意味があると感じているんです。なので、できるだけ変わろうとすることに対しての精神的苦痛を乗り越える努力は昔からずっとやってきているし、だからこそ大きい課題に対しても向き合える部分があると思います。
人間関係もすごく難しさを感じる局面がたくさんあって、たとえば男性的な価値観を押し付けられたり、髪が長かったことに対して「短いほうがいい」ってずっと言ってくる人がいたり、僕がネイルしているのを見て「男がやるものでない」みたいなことを言ってくる人がいたり。それを超ナチュラルに言ってくる人や、さまざまな価値観をもつ人がいることを学ぼうとしない人と、どこまで向き合うのかという線引きが本当に難しかった。例としてわかりやすいものを挙げましたけど、もっといろんなレイヤーで自分のこだわりがどんどん強くなっていったことで、会える人がどんどん減っていったんです。その苦悩はここ数か月でやっとちょっとうまく向き合えるようになったなとは思っているんですけど、すごく大変でした。
ーうまく向き合えるようになったのは、自分のなかで折り合いがついたのか、人と向き合ううえでのある種の基準ができたのか、どっちだと思いますか?
SIRUP:どっちもですね。自分のなかでの折り合いということで言うと、僕は傷つく可能性のある人が減る状態を作りたくて発言しているんだけど、それは結局自分が居心地良くなるために「こうなってほしい」と思っている部分もすごく強かったり、自分の環境を良くするためのものでもあったりするのかもしれなくて。そういう意味で、自分以外の場所で起きていることも含めて、あまりにもなんでも自分ごと化してしまっていると気づいたんです。でも、一人ひとりのペースや考え方があるから、ちゃんと他人と自分を切り離すというマインドセットをやっと覚えました。「この人にとっては、こう考えた方が楽なんだな」と考えたり、「この人が思っていることが他人に対して害じゃなければいいや」という判断をしたりして人と向き合えるようになったのは大きいと思います。
虎鉄:僕の場合、同じ思いを持ったコミュニティができはじめると、エンパワメントし合って思いが強くなるし、それが闘うエネルギーにもなるのですが、思いが強くなればなるほどすごく速く結果や変化を求めようとしてしまうところがあって。でも、去年初めてデモに参加して、LGBT差別禁止法を求めるスピーチをして感じたのが、やっぱり人や社会が変わるにはすごく時間がかかるということ。一人ひとりの状況やペース、知識量、いろんなものが要因になるから、自分も長期的に闘えるように短期集中型でエネルギーを出しすぎないほうがいいなと思うようになりました。そう思うようになってから、今まではしっかりと理解できていなかったセルフケアの必要性を感じるようにもなりましたね。
SIRUP:めっちゃわかります。僕もセルフケアがすごく大事だなと思っていて。闘いすぎて自分が潰れてしまった瞬間が去年は何回もあったんですよ。さっき話した対人関係についての意識も結局自分を守るためのことだし、人それぞれのタイミングを尊重することにも繋がってくるというか。
持続的であるために、休み休みやる。物理的にわかる自分のバロメーターに敏感になっておく。周りの雰囲気に飲み込まれないセルフケアの方法
ー自分が潰れてしまうラインを体感しながら、セルフケアや自分が進むスピード感を学ばれてきたのですね。まだまだ同調圧力が強い社会のなかで違和感を唱えると、自分の居場所がなくなってしまうんじゃないかと感じて行動に移せない人もすごく多いんじゃないかと思うんです。そういう空気や集団的なノリが存在する環境において、どういうマインドセットでいれば、その雰囲気に飲み込まれることなく自分を大切にできると思いますか?
虎鉄:結果を残すことや上に行くことが正義とされがちだけど、やめたって、逃げたって、一時停止したっていいと思うんです。社会運動はもちろん、仕事をするうえでも、自分のなかでの正義を求めて続けていくことは大事なんだけど、結果や変化を求めて苦しくなっちゃうんだったら、それは持続的ではなかったりする。キャパオーバーにならないように休み休みやっていくこともひとつだと感じています。
少し休んで、再開したいと思えたらしたらいいですし、ほかの何かやりたいことが見つかったらそれはそれで素敵なことだし、見つからなかったら見つからなかったでもいい。誰にでも提案できることではないのですが、自分にはそう言い聞かせるようにしています。続けるために休むのはもちろん大事ですけど、続けないって選択肢もある。会社も「3年は続けましょう」と言われることがありますけど、自分は昔から同じ場所に3年も属したことないし、同じことを3年やり続けたこともないから、続けられている人・続けたいと思っている人のことを本当にすごいと思う。でも、会社に入って1、2か月で「無理だわ……」って思ったら全然辞めたっていいって思います。
SIRUP:わかります。自分も同じところに長くいられなくて、唯一長くできていることが音楽なんだと思います。シンプルに物理の話に変換したらわかりやすいかもしれないです。心の動きっていちばんわかりにくいので、眠れなくなってきたとか、肌が荒れてきたとか、最近楽しいと思う時間が減ったとか、身体の不調や物理的にわかる自分のバロメーターに敏感になっておくと、ひとつの基準になるかもなと思いました。
虎鉄:スキンケアやメイクをしない人、とくに男性は普段自分の肌質を確認する時間が少ない人が多いけれど、肌の変化によって精神状態や疲労を察知しやすいっていうのはあるかもしれないですよね。もし「男性は肌のことを気にするべきじゃない」という言葉によって、自分や他人を縛っている人がいるとしたら、それは心身の変化に気づきづらくなる要因のひとつになってしまうかもしれないなと今思いました。
「現状維持」は、今の自分は守れるかもしれないけど、未来の自分は守れないかもしれない
ー目に見える小さな変化から自分を知ることってすぐに実践できそうですよね。逆に現状維持を譲らない人って、変化した先に自分が伸びやかに過ごせているイメージが持ちづらいということがあるのかなと思っていて。
虎鉄:僕自身が伸びやかに生きているのか、伸びやかに生きる想像ができているのかと考えると、個人の努力だけではなく、社会制度によっても伸びやかに生きられるかどうかが変わってくる話だと思うので、正直わからないんです。LGBTQ+のなかでもゲイ男性やバイセクシュアル男性のように、性自認が男性という方々は、性自認が男性以外の方々よりも、会社で性別を理由に重役に就けなかったり、道端で性的に消費されたり暴力を振るわれるリスクは少ないです。もちろん、男性を自認していても、そういった状況や差別を受けることもありますが、ノンバイナリーにトランスしたときに、ジェンダーアイデンティティが変わることで、こんなにも自分の存在が保証されないんだとか、命や暮らしが守られる制度や社会の風潮が圧倒的になくなるんだと感じたんです。だから変化することによって自分の視野が広がるという感覚よりも、見ている視野自体が変わって、でも、前までの視野も覚えている、みたいな感じです。
—ひとつのイメージを持てるというよりは、いろいろな角度の選択肢を得るというか。
虎鉄:そう思います。視野の幅ってそんなに広がるものじゃないし、今見ることのできる視野は限られているかもしれないけど、チャンネルを変えるようにいろんな方向を見られるよう、積極的にいろんな人と対話して関係性を築きたいと思っています。固定観念を守って現状維持を続けることって、他者を排除するだけじゃなくてこれからの自分の未来の選択肢を排除することでもあるんですよね。人間って矛盾したくないから、たとえば相手に「同性愛なんて意味わかんないよ」と言うことって、自分に対しても「同性愛なんてしちゃいけない」ということを課す行為になってしまう。現状維持することで今の自分は守れるかもしれないけど、未来の自分は守れないと感じています。
SIRUP:そうですね。結局、自分がどうなるか、未来がどうなるかなんて誰にもわからない。頭で考えて変わることって実はあんまりないと思うし、何かを経験する前から「こうだ!」って決めてしまうのは危ない。今虎鉄さんがおっしゃったように、価値観が変わったときの自分を守れなくなってしまいますよね。ただ、僕の場合はアーティストであること自体、かなり特権性があるものだと感じているので、スタッフに対してもプライベートの人間関係でも自分の立場に対して意識的でいるようにはしていて。そういうことを学んでいくのも結局はセルフケアというか、自分が楽しく生きるためのことだなと思っています。
虎鉄:SIRUPさんは、自分が持っている特権性と向き合うことや、特権性を持っていると自覚すること、その特権を権利として分配していくことについてどう考えていますか?
SIRUP:全然違うようで繋がっている話なんですけど、僕すごく気分の上下があるんです。ホント恥ずかしい話なんですけど、シンプルにお腹空いているだけでめっちゃ機嫌が悪くなるみたいなことがすごく多いんですよ。だからそういうときは「今お腹減ってるのかも?」って思ってくれたらいいんですけど、僕が機嫌の悪さを現場でスタッフに露わにするとやっぱりパワーバランスが自分に偏ってしまうので、「自分はこういうときに、こういう機嫌・状態になってしまう。だけど気をつけるようにしているよ」ってできるだけ話そうって思っています。なぜなら僕がそれを言うことで相手も何かを言いやすい環境になると思うし、「この人が不機嫌になっているの嫌だな」って感じても、「お腹空いてるだけなんだな。関係ないから無視して仕事の話しよ」って切り替えられたり、執拗に我慢させたりすることがないように気をつけています。
虎鉄:権利を与えられていなかったり、不当な扱いをされかねない存在の人たちが頑張ったり、気を遣ったりする環境を作るのではなくて、特権性を持った人たちが、いかにフェアな環境を作れるかということですね。わかりやすく伝えるために敢えて「上下」と言いますが、下にいる人たちが頑張るのではなく、上にいる人たちが頑張る構図を今実践されているっていう。傷ついたりしんどい思いをしたりしている当事者以外の人が、平等を求めたり、自分の未来の選択のためにも闘うということに、SIRUPさんのエネルギーをすごく感じます。
SIRUP:ありがとうございます。それが本当の平等だなと思います。逆に自分が違う視点に立つと立場が変化したり、闘わないといけなくなったりすることもあると思っていて。こういう話をすると、自己責任論と二元論が邪魔してきがちなのですが、「自分で決めたんだから自分に負荷をかけ続けなきゃ」とか「絶対こうしないといけない!」じゃなくて、さっき話したようにセルフケアしながら自分のペースでやっていくことが重要だと思っています。
インタビュー・テキスト:飯嶋藍子
イラスト:三迫太郎
編集:野村由芽(me and you)