清水みさとが毎日サウナに入る理由。心地よいリズムを取り戻す
からだをさまざまにめぐらせ、自分自身を大切にしながら暮らしていくための場所
からだが、めぐる
仕事や生活の忙しさに直面すると、どうしてもからだや心のめぐりを忘れてしまうこともある私たち。そんなときに、自分を自由に解放してくれる場所があったなら、もっと自分自身を大切にできるかもしれません。
女優・清水みさとさんにとってのそれは、サウナ。今では決して欠かせない存在であるというサウナとの出会いは、約10年前に遡ります。不規則な生活から心地よいリズムを見失い、いつも肩肘張って過ごしていたという清水さんにとって、サウナはとびきりの自由をくれる場所だったそうです。サウナとともに歩んだ日々を振り返りながら、等身大の気づきが込められたエッセイをお届けします。
日常に欠かせない、心とからだをめぐらせるサウナ
私は、いつも機嫌よくいたいと思っている。もちろん毎日いいことばかりではないけれど、日常に散りばめられているささやかな喜びと面白発見のスペシャリストを目指しているので、常に五感の解像度を上げて、感性の扉をオープンにしているのだ。そのほうが単純に楽しいし、楽しいとご機嫌でいられる。そのためには、心とからだがととのい、健康である必要があると思っているので、私は毎日サウナに通っている。「食事、睡眠、歯磨き、サウナ」といった具合に、サウナは生活の一部なのだ。サウナに通い始めて早10年。飽きることなくサウナの虜になりっぱなしの、サウナをめぐる私のお話。
大学1年生の19歳の頃、ダイエットのために通い始めたジムでサウナに出会った。大学入学直後、人付き合いの流れに身を任せ、食べて遊んでまた食べて……不規則な生活の中には自分の「リズム」なんてまるでなく、あっという間に3ヶ月で5キロ増し。大慌てでジムに入会した。毎日大学終わりに水中ウォーキングをして湯船に浸かる日々を過ごすうちに、浴室でよく一緒になるおばちゃんたちと仲良くなり、ダイエット目的だったジムは、いつの間にかおばちゃんに会うためのジムになった。おばちゃんたちは、湯船で軽いおしゃべりをしたあと、サウナ室でメインディッシュのトークに大盛り上がり。混じりたくて仕方なくなった私は、予備知識のないままとりあえず見よう見まねでサウナに飛び込んでみた。それがすべての始まりだ。
もともと半身浴は好きだったから、汗をかくことの気持ちよさは知っていたけれど、ここは逃げ場のない熱い箱。皮膚も熱けりゃ呼吸も熱い。何もかもが熱い。それでも逃げずにサウナに入っていられたのは、気持ちよさそうに水風呂に入るおばちゃんたちを見ていたから。何度も入っている水風呂なはずなのに、毎回初めてのように冷たい水と戯れていたおばちゃんたち。当時、「ととのう」という表現はなかったけれど、あの時のおばちゃんたちは若々しく初々しく、どう考えてもととのっていた。今思い返すとおばちゃんたちのととのいっぷりは、小気味いいトークにも出ていたなぁと思う。
大抵のおばちゃんは、大変なおしゃべり好き(私調べ)。次から次へと弾むトークテーマは嬉しい話、自慢話、悪口から深刻な話まで幅広く、そのどれをとっても次々に笑いに変えていくおばちゃんたちのユーモアがとてもかっこよくて、ちょっぴりいい加減で人の話はあまり聞いてないさまがすごくおかしかった。会話の途中でもお構いなく、熱さに我慢できなくなったらそそくさとサウナを出る。そんな無理をしないおばちゃんたちのリズムが私はとても心地よく、大学入学で気張っていた肩の力がそっと抜けていくのがわかった。そして、生活は思っているよりずっと適当で、自分勝手でいいんだとおばちゃんたちをみて学んだのだ。力を抜いて気ままに人生を楽しむ秘訣。ここで私は、ご機嫌なおばちゃんたちから、心の健康法を手に入れた。
とびきりの自由を求めて、私は今日もサウナへ足を運ぶ
からだのことでいうと、冷え性で汗をかきにくく、むくみやすかった体質が面白いくらいに改善されていった。ここ最近は風邪も引いてないし、毎日2万歩歩くほど元気なのも長年のサウナ通いの賜物だと思っている。サウナで血管をゆるめて、水風呂でキュッとしめると、滞っていた血液が勢いよくからだ中を駆けめぐるように思えて、からだからあらゆる力が抜けて思考が停止するほどのディープリラックスが訪れる。これが「ととのう」だ。外気浴ができる施設では、空気のおいしさを味わい、季節の風を感じ、雨の音を聴き、途切れる雲の隙間から覗く太陽を浴び、自分がどんどん自然と溶け合っていくのを実感し、思考から感覚の世界へと誘われていく。
今って本当に便利な時代で、当たり前だけど暑ければクーラー、寒ければエアコンと、文明の利器でどうにでもなってしまうから、からだが頑張る必要がなくなってきているように思う。いつか怪我すらしない時代が来たりして……なーんて妄想しつつ。それってからだ的には、退屈なのではないかと思うのだ。ギターだって使わないとだめになってしまうし、どんな立派な家も住まなければ老朽化してしまうのと同じで、からだも使わないと悲しんでしまう気がしてならないのだ。そんな人間の根本的な機能を人為的に起動させることができるからだの健康スイッチがサウナだ。私の場合、サウナが好きすぎてスイッチを押しすぎなのだけど。
そして、無機質なサウナ室はやっぱり熱い。熱いから何か考え事を始めても最終的に熱い! に辿り着くので、考えすぎる私たちにはとびきり自由になれる場所でもある。必要以上に散りばめられた情報と絡み合う人間関係をたやすく手放すことができるサウナは、生き方をシンプルに、軽やかにしてれる。走り続ける時間から抜け出し、止まることで、みるみる心とからだがめぐり始めることを知った。
世の中には嬉しいこともあれば悲しいことだってあるし、いい人もわるい人もいる。でも、不協和音とも思えるさまざまなものをサウナは簡単に掬い上げてくれるから、どれもちょっぴり可愛らしいとさえ思える。そんなサウナの懐の深さに、これからも全力で甘えていきたい。
私はサウナが大好きだ。
今日も私はサウナのおかげで機嫌がいい。
文:清水みさと
イラスト:millitsuka
編集:石澤萌