アラフィフで美容を始めた伊藤聡と、宮崎智之が話す。「男らしさ」にどう風穴を空ける?
40代のフリーライター・宮崎智之の「メンズメイクまでの道」
vol.4
「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」といったジェンダー観の変化や、K-POPをはじめとした男性アイドルの活躍、職場でのジェンダーバランスの移り変わり、リモートワークの増加……。そういったさまざまな背景もあり、メンズメイクの市場は年々拡大しています。
しかし、「化粧・美容は女性のもの」といった価値観が根強かった時代に青春期を過ごした人たちの中には、興味はあっても「男性がメイクをする」ことへの抵抗感が拭えない男性もいるのではないでしょうか。フリーライターの宮崎智之さんもその一人。「目の下のクマこそが僕の本体だった」と、コンプレックスを抱えながら人生を過ごして41年。「今こそそのとき」と、昔からメンズメイクに興味を持ちながらも、踏み出しきれなかったその一歩を歩み始める連載が始まることになりました。宮崎さんはメンズメイクを取り入れることができるのか。
連載第4回は、50代になってから美容に取り組み始めた自身の経験を書いた著書『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)を上梓した、会社員兼ライターの伊藤聡さんをゲストとしてお迎え。宮崎さんが美容やメイクに取り組むうえで感じている障壁についての話から、お二人が「男性性」や「男らしさ」とどのように向き合ってきたかにまで、話題は展開していきました。
「美容って、修行みたいに自分を鍛えることなんじゃないかと思っていた」(宮崎)
─宮崎さんはもともと伊藤さんのご著書(『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』)を読まれていたそうですね。
宮崎:発売とほぼ同時に読んで、ずっとお話したいと思っていました。
伊藤:ありがとうございます。
宮崎:今日も影響されてトーンアップの日焼け止めを塗ってきました。
伊藤:いいですねえ。
宮崎:まず、この連載の間が空いていた9か月間(取材は6月上旬に実施)の話をさせてもらえたらと思うのですが、今年の2月頃にあるパーティーに出ることになって、7年前ぐらいにつくったスーツを事前に着てみたら、なんと上着のボタンが閉まらなかったんですよ。これはやばいと思ってダイエットを始めたら、見た目が変わってきて。テンションが上がって、どうせならスキンケアもしようと思ったんです。その時点でパーティーまで2か月くらいあったから、きちんと洗顔をして保湿して寝るという、これまでにこの連載で習ったことを集中的に実践しました。
そうしたらすごく成果が出て、スーツも入ったし、顔色も良くなったんですけど、僕って一つのことを集中的にやるタイプなんです。だからそのパーティーが終わったら、目標が達成できてやったーってなって、ダイエットもスキンケアもやらなくなったし、仕事も忙しくなってきて徹夜するようになって。ダイエットとスキンケアは「完」という気持ちになってしまったんです。
伊藤:映画のエンドクレジットみたいに「Fin.」となったんですね。
宮崎:それと同時に、もともとは筆が早い方だったんだけど、最近原稿がかなりぎりぎりになることが増えてきて。一度、ある媒体で穴を空けそうになって、すごく怒られたんです。それで反省して、『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』(著:ポール.J・シルヴィア、訳:高橋さきの/講談社)という本を読んだら、「降りてくる」みたいなことは科学的に証明されていないし、スケジュール化した方が、原稿が進むうえにクリエイティビティも上がると書いてあって。これは美容とも関係していると思ったんですよ。
結局、仕事だって毎日ちょっとずつやればいいのに、のってきたときや締め切り前に集中してやるような働き方をしていて。スキンケアも習慣化ができていなくて、短期間だけ集中してやっている。僕は美容って、修行みたいに自分を鍛えることなんじゃないかと思っていたけど、一連の体験と、伊藤さんの本を読んだことで、美容は自分をいたわる行為で、自分の生活を整えたりすることに近いんだと気付きました。
「スキンケアを始めて一番びっくりしたのは、スキンケア製品って使うとなくなるということ」(伊藤)
伊藤:私ももともとは自分をいたわるという発想はなかったんですけど、だんだん変わっていきました。私がスキンケアを始めて一番びっくりしたのは、スキンケア製品って使うとなくなるということです。これまで買い集めてきた本やDVDは、売ったり捨てたりしないかぎりなくならないけれど、スキンケア製品の場合は1万円するものでもなくなってしまうから、また買ってこないといけない。
人類学者の磯野真穂さんと対談でお会いしたときにそういうことをお話したら、「生活というものに気づいたんですね」と言われました。たとえば部屋を一度掃除したらそれで終わりということは絶対になくて、放っておいたら崩れてしまうものをずっと整え続けることが生活だと思うんですと言われて、すごく深いなと思ったんです。
宮崎:深いですね。僕、最近部屋の片付けをしたんですよ。本が何千冊も床に積んである状態で、ついに足の踏み場がなくなったので大改革して。DIYが得意な後輩にアルバイト代を払って壁一面本棚にしてもらって、半分近くは減らしたんです。それで完璧に綺麗になったんだけど、やっぱりまた散らかってきて。
そのときに、汚くしたところはその都度片付ければいいんだとふと気づいて、妻に「すごいことを発見した」って言ったら、とても呆れられたんです。それまでは、汚くなってから片付けるものだと思っていたんですよ。窓ガラスが割れていると街がすさむという理論(割れ窓理論)がありますけど、放置していたペットボトルをその都度捨てたりするようになって、美容もそういうことなんだなという、気づきがありました。
─伊藤さんはどんなふうに美容を習慣化されていったんですか?
伊藤:私はいい香りのものを使ったり、スキンケアをしたりすること自体が気持ちいいから、面倒とはあまり思わなかったんですけど、続けるのが大変というのはみなさん思うことらしくて。売れまくっているMEGUMIさんの美容本『キレイはこれでつくれます』(ダイヤモンド社)には、美容を続けていくために、面倒だと感じる心の障壁になるものを取り払っていくことがいかに大切かが書かれているんです。
宮崎:やっぱり僕は美容ってどこか特別なものだと感じているんです。だから旅行に行くと、近くのコンビニで買ったパックをしたりして。それって非日常化してるということですよね。伊藤さんの本を読んで一番刺さったのは、美容をする理由は、内からのモチベーションでいいというところで。僕はいまあまり人に会わない生活だから、自分が綺麗になって得することが、そんなにないように思ってしまうんです。でも、そうじゃないんだと思いました。
妻にも、「綺麗になったり、自分の理想とする姿でいきいきとしたりしていることは、生活も仕事も子育ても、全部に影響するんだよ」と言われて、確かにそうだなと感じたんです。美容を続けたら気持ちがいいとか、いい匂いがすることが嬉しいと感じられるとかは本当に思いつかなかったし、そういうことでも十分なんだなって。
「この本は、私の人生最大の問題と言っても過言ではない、『男らしいとはなんぞや』というテーマに向き合っている」(伊藤)
─伊藤さんの本の中で、「香水をどこか『惚れ薬』のように考えて」いたり、「異性へのアピール」のためであるような発想を伊藤さんご自身も持っていたということが書かれていましたが、伊藤さんの中で美容に対する考えが変わっていったのはなぜだったのでしょうか?
伊藤:実はこの本はスキンケアの話をしつつ、私の人生最大の問題と言っても過言ではない、「男らしいとはなんぞや」というテーマに向き合っているんです。それ以前から薄々感じていたけど、大学生のとき初めて付き合った女性に、「伊藤くんの男らしいところを一度も見たことがない」と言われて、自分には男らしさがないんだ、と思いました。そこで、男らしくなくても幸せになれるような道を探そうと思えればよかったんですけど、1990年代って、恋愛をしていない人は精神的に未熟であるという圧力が、いまより全然強かったんです。
宮崎:そうでしたね。
伊藤:自分がそういう人間だと思われるのは絶対に嫌だから、頑張って男らしさを身につけるのだ、という間違った決意をそこでしてしまったんですね。でも20年くらい頑張ったけど、結局だめで。40歳を過ぎた辺りから世間の空気も変わってきて、男らしくなくてもいいのかなと、やっと思えるようになったところがあるんです。だから、この本は「男らしさ」というものに対して、「そうじゃない道もあると思いますよ」と提示したかったというか。日本ってホモソーシャル社会じゃないですか。その巨大なダムみたいな壁をノミでこんこんして、「穴が空かないかなー」と思ってるんです。
宮崎:すごく共感します。
伊藤:「男らしさ」という規範があると、やっぱりスキンケアも恥ずかしいと思ってしまう気がします。私自身、化粧水一つ買うのも恥ずかしかったし、そういう感覚を取り外していくことをしたいんです。男性がスキンケアをすることもだんだん当たり前になってきたとはいえ、世の中の多くの人は、ちょっと乱暴なこともするけど行動力があるような「男らしい」人が結局好きだったりもして。そういう人が政治家としてトップに立ったりしているのを見ると、男らしくない私は恋愛にも参加できないし、会社で偉くなったり、みんなに信頼されるような人にもなれないし、男同士で仲良くすることもできないと感じて、すごく絶望感があったわけです。
宮崎:僕もずっと「男らしさ」が苦手でした。伊藤さんと少し違うのは、世代が一つ下ということもあると思うし、フリーランスで物書きをしているからということもあると思うんですけど、大人になってからは、男らしさなんてそもそも求めなくてもいいや、とある程度開き直れるようになっていました。でも、結婚して家族を持って40代になってから、自分がどうしても持ってしまっている男性性というか、男らしさに気づいてしまったんですよ。
伊藤:ああ、なるほど。
宮崎:やっぱりなんとなく妻の方が子育てをやってるし、どちらかが働くとなったときに僕の仕事の方が優先されるし、保育園に行っても、お父さんだけが来るのはすごく少数派で。いろんな場面で、自分は持っていない、積極的に手放したと思っていた、僕の大嫌いな男性性みたいなものが内面的にもあることに気づいたんです。
伊藤:でもそれはすごくいい発見ですね。
宮崎:それと同時に、年齢的なステージとしても異性の目を気にしなくなってきたから、自分が魅力を放とうとすることによって、なにか有害なものが出てしまうんじゃないかと感じて。いまいち美容に乗り切れなかったり、筋トレが嫌いだったりするのは、そういう理由もあったんです。
「(美容業界には)美容というものを使ってどうにか「男らしさ」を解体しようと、意識的に取り組んでいるところもあります」(伊藤)
─先ほどお話しされていたように、自分の外見に手をかけることを、自身のケアというよりは、人に向けたものとしてとらえられていたんですね。
宮崎:衰えていく自分に対してケアをすることで、「モテようとしてるんじゃないの」と思われるのが怖かったかもしれない。それでだんだん自分に対するサボタージュが始まりました。でも、考えてみたら美容って無害ですよね。
伊藤:美容をすることを、営業成績のためだったり、女性にモテるためという方向性で考えたりしている人ももちろんいます。男性向けのスキンケアメーカーの中でも、「スキンケアをしたことによって、10歳も20歳も若い女性と付き合っちゃったぞ」みたいなことを自慢するような漫画を広告にしているところもありますから。
宮崎:男性って、人よりも卓越したり圧倒したりすることが好きな傾向がありますよね。
伊藤:競争が大好きですよね。私はこの本を通じて、ホモソーシャルな生き方をやめて男らしさを捨てたら、周りの人も傷つかなくなるし、自分自身も穏やかな気持ちになれますよと、アピールしたいんですけど、現状のホモソーシャル世界に順応することでもらえるリターンが豪華すぎるというか。たとえば、「ホモソーシャル世界の中で頑張ったらタワマン、高級外車、綺麗な女性が手に入るぞ」……というような状況で、「心が穏やかになりますよ」「周りの人と仲良くできますよ」と私がいくら言っても、肩たたき券を景品にして説得しようとしているような難しさがあります。
宮崎:先ほどお話に出たメーカーの広告のように、そうした風潮が男性向けの美容業界でもやっぱりあるんですね。
伊藤:まだ少しはあるのかもしれないですね。でも、美容というものを使ってどうにか「男らしさ」を解体しようと、意識的に取り組んでいる著者や媒体もあります。例えば『VOCE』という雑誌の大森さんという編集者の方が関わっている「ウレアカ?」というプロジェクトでは、男性芸人さんに美容に向き合ってもらう企画をYouTubeでやっていて。その「ウレアカ?」が今度は、男性芸人さんに初めての性体験を話してもらう企画(「マイファーストセックス」)をしているんです。
男性の性体験についての話って、基本的には武勇伝か面白話のどちらかしかされにくくて。だけど本当は、男性が初めて性体験をして辛かったかもしれないし、恥ずかしかったかもしれないし、怖かったかもしれないし、乗り気じゃなかったかもしれないじゃないですか。そうした、語りづらい経験を話していくことは、男性性の悪しき部分をどうやって取り払うかということなんですよね。
「自分でケアしてあげることによって、男らしさの変な毒が抜けて、もっといい感じになれるんじゃないかなと思っています」(伊藤)
宮崎:20代、30代と「文化系」と言われるようなグループに属していたときに、ホモソーシャル的なものから逃れたい人が周りにも多かったんです。そうすると性については逆になにも語らないんですよ。とはいえ性って結構悩みがあるじゃないですか。その悩みはもうブラックボックスなんですよね。
伊藤:男性として生きている中で、「とにかくなにも感じない人間になれ」という教えを受けてきたと感じています。ある本には、男性の場合、喜怒哀楽のうち、「怒り」はかっこいい感じがするからオッケーなんだけど、残りはなしにした方がいいとされると書かれていました。だから、「嫌だった」と思うことがあっても、それをあまり人前で発表できない。でもそれってすごくきついですよね。
宮崎:男性の多くは弱音を吐き出すのが苦手だとも思います。子どもが産まれてから童謡を聞くようになって、『グリーングリーン』っていい歌だと思ってたけど、あの歌ってお父さんが亡くなる前息子に「つらくかなしいときにも泣くんじゃない」と言っているんですよね。息子が生まれてから、僕なら逆のことを言うかもしれないと思うようになりました。
伊藤:自分の個人的な話をしたり、聞いてもらったりしづらいと感じている人は多いと思います。
宮崎:僕自身もアルコール依存症になったのは、男らしさを放棄しようとしたときに、ホモソーシャル的ではない別のベクトルで社交性を発揮するため、お酒の持つリラックス効果を利用することに頼ったという側面があったと思っています。
お酒を飲んであまり話したことがない人や、初めて話す人に声をかけてみて、その人たちの話を聞くなどする。僕は本来は人見知りなのに、お酒を飲むと気持ちが大きくなり、とにかく気さくな性格になれましたから。お酒によって発生するホモソーシャル的なノリを避けるために僕が用いたのが、同じくお酒による効用だったというのは、なんとも皮肉な話です。
伊藤:だから人と接したり、繋がったりする方法やチャンネルをもっと増やしたら、「男らしさ」に縛られることによって生じる不幸が減るんじゃないかなと想像したりします。
宮崎:妻がこの連載に興味を持ってくれていたようで、「もっと美容をやればいいのに」と言われているんです。それで今日出かける前、妻に「なんのために美容をやってるの?」って聞いてみたら、「自分のために決まってるじゃん」と言われたんですよ。「仕事も生活も子どものためって側面があるけど、美容だけは自分のためにやってるんだよ」って。
それを聞いて、「僕も自分のためにやるから、これからは自分のために二人で美容しようぜ」と言ったんです。やっぱりモチベーションが自分の内側に向いていないことが、美容が継続しない理由であるというのが一番の発見だったから、今日、伊藤さんが持ってきてくださった化粧品もたくさん見せていただきましたけど、楽しそうに袋から出されているところを見て、自分もそんなふうに楽しめるようになりたいと思いました。
伊藤:美容って自分しか継続的に手をかけられる人がいないんですよね。いまの医学では肌が汚くなったからといって新しい肌に交換することはできなくて、死ぬまで自分自身の肌でいるしかないわけじゃないですか。自分でケアしてあげることで、肌の調子も保てて、自分の肌をより大事なものだと思える。それによって「男らしさ」の変な毒が抜けて、もっといい感じになれるんじゃないかなと思っています。
インタビュー・テキスト:松井友里
写真:出川光
イラスト:三好愛
編集:野村由芽(me and you)
■プロフィール
宮崎智之(みやざき・ともゆき)
1982年、東京都出身。フリーライター、文芸評論家、エッセイスト。現在、文芸誌『文學界』にて「新人小説月評」(2024年1月〜12月)を担当中。新刊に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』、近刊に『モヤモヤの日々』(晶文社)など。共著につながる読書 ――10代に推したいこの一冊(ちくまプリマー新書)。FM87.6MHz渋谷のラジオ 毎週木曜17:00〜生放送の文学番組「BOOK READING CLUB」(#brc876)のパーソナリティでもある(ハッシュタグは #brc876 、Apple PodcastやSpotifyでもアーカイブ配信中)」犬が大好き。
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伊藤聡(いとう・そう)
1971年福島生まれ。会社員兼ライター。映画や海外文学を主な題材に、BLOGOS、Real Soundなどに寄稿。著書に『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)、『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。「美的.com」で「中年男性、トキメキ美容沼へ」、雑誌『Pen』で「グルーミング研究所」を連載中。
X:https://x.com/campintheair