6月はプライド月間。性的マイノリティの権利のために個人や企業ができることって?
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6月はLGBTQ+の権利を啓発するために世界各国で様々な活動・イベントが行われる「プライド月間」。言葉は聞いたことがあっても、その成り立ちや背景、具体的な取り組みをご存知でしょうか? また、プライド月間でなくとも性的マイノリティの人々が抱えている困難や現在おかれている社会の状況に対して、私たち一人ひとりはどのようなアクションができるのでしょう。
今回は、SNSやメディア、『あいつゲイだって-アウティングはなぜ問題なのか?』『LGBTとハラスメント』などの書籍をとおし、政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信しているライターの松岡宗嗣さんに、「プライド月間」やLGBTQ+を取り巻く問題を考えるうえでの視点や心がけについて伺いました。行動したいと思いながらも「自分は当事者じゃないから」と行動に移せなかった人も、自分にできることが見つかるかもしれません。
プライド月間の歴史、LGBTQ+の権利の象徴であるレインボーフラッグの変化
「プライド月間」とはどんな月間なんでしょうか?
性的マイノリティの命や尊厳を讃え、平等な権利のために啓発をしたりする月間のことです。1969年6月28日未明にニューヨークで起こった「ストーンウォールの反乱」が大きなきっかけのひとつと言われています。この事件はストーンウォール・インというゲイバーに警察が踏み込み捜査を行い、そこに居合わせた人たちが警官たちに立ち向かって起きた3日間にわたる暴動のことです。特に有色人種のトランスジェンダーやブッチ(男性的な身なりや振る舞いの)レズビアンが中心的だったと言われています。
アメリカではそれまでも警察による「ゲイ」への抑圧に対する反発が起きていたのですが、特に大きな“暴動”のひとつとして注目を集め、翌年には「ストーンウォールの反乱」を讃えるデモ行進が行われました。のちに6月が「プライド月間」となり、世界各地のプライドパレードをはじめとした様々な取組みにつながっていきました。
「プライド」とはどういう意味ですか?
特に欧米圏では同性間の性行為が罪や恥だと捉えられていた経緯があり、恥(Shame)ではなく誇り(Pride)なんだ、という意味と言えると思います。
新聞やテレビなどのメディアを見ていると、性的マイノリティを表す時に「LGBT」「LGBTQ」「LGBTQ+」といろいろな表記の仕方を見かけます。この言葉の意味について今一度教えていただけますか?
それぞれ性的マイノリティを表す言葉の一つと言えるのですが、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダー、Q=クエスチョニングまたはクィアの頭文字をとったものです。レズビアンは女性の同性愛者、ゲイは男性の同性愛者、バイセクシャルは両性愛者、トランスジェンダーは生まれた時に割り当てられた性別と性自認が異なる人です。
「Q」のクエスチョニング、クィアとは何でしょうか。
クエスチョニングは自分の性のあり方を決められない、決めたくないといった人のこと。クィアを一言で言うのは難しい部分があるのですが、「普通」とか「当たり前」とされている性のあり方以外を包括的に表す言葉と言えます。性のあり方自体はもちろんこれらがすべてではなく本当に多様なので、それ以外の様々な性のあり方を含むという意味で、LGBTQ“+”という言葉が、近年では国際的に使われています。
プライドパレードやLGBTQ+に関する取り組みを見ているとレインボーフラッグを目にすることが多いのですが、レインボーフラッグにはどんな意味があるのでしょうか?
レインボーフラッグはギルバート・ベイカーさんというアーティストが考案し、1978年6月25日にサンフランシスコで行われたパレードで初めて使われたと言われています。このパレードもやはり「ストーンウォールの反乱」の流れを汲んで行われたもので、レインボーフラッグはLGBTQ+の権利の象徴です。
当初は同性愛者の権利の象徴としてレインボーフラッグが使われていたので、多様なジェンダーやセクシュアリティの人たちの存在を可視化して讃えたり、権利を訴えたりするために、トランスジェンダーやノンバイナリーなどのフラッグも作られていきました。最近はレインボーフラッグ自体も変わりつつあって、特に欧米圏では「プログレス・プライド・フラッグ」というものが使われるようになってきています。
レインボーフラッグにも種類があるんですね。
そうなんです。去年オランダのアムステルダムのプライドパレードに参加したのですが、ほとんどプログレス・プライド・フラッグに置き換わっていました。これは2018年にアメリカのダニエル・クエイサーさんというデザイナーが作ったもので、トランスカラーである水色とピンクと白、人種的マイノリティを表す茶色と黒(黒はHIV/エイズによって亡くなった人への追悼も象徴していると言われています)を使った三角形が入っています。これまでの運動が白人のゲイ男性が中心になり、有色人種やトランスジェンダーの存在が見落とされてきたという問題意識から、それぞれを表す色を使った新しいフラッグが生まれたと言えるでしょう。
プライド月間に行われる企業の取り組みが「レインボーウォッシュ」にならないために
具体的にプライド月間にはどんな取り組みがされてきたのですか?
世界的には6月にプライドパレードが行われていることが多いのですが、日本のパレードは例年ゴールデンウィークあたりに行われているので、プライド月間とは少し時期が離れているんですよね。日本国内では、まだまだ「プライド月間」としての取り組みは限定的ですが、外資系企業が本国のプライド関連の取り組みを日本でも行ったり、支援団体への寄付や啓蒙活動を行うことが増えてきたと思いますし、それが少しずつ国内の企業でも行われるようになってきました。
松岡さんは企業の取り組みをどのように見ていますか?
コスメブランドのLUSHさんの動きはとても注目しています。例えば「結婚の自由をすべての人に」という日本における同性婚法制化に向けた啓発キャンペーンを昨年全国の店舗で打ち出して、スタッフへの啓蒙はもちろん、キャンペーン商品の消費税を除く全売り上げを「公益社団法人Marriage For All Japan – 結婚の自由をすべての人に」に寄付したりするなど、課題を解決するためにできることをやっていると思います。
一方で、たとえば、レインボーカラーの商品を作るけれども、なんのためにその取り組みをしているか打ち出していなかったり、自社の「アピール」に終始してコミュニティには何も還元されていなかったり、社内の取り組みが進んでいないのに社外へのアピールは大きく打ち出すような、実を伴っていない取り組みをしている企業もあります。外資系企業でも、プライド月間に本国で行われる取り組みを日本で実施する際に、LGBTQ+やプライド月間の説明は一切なく「多様な個性」というふうに表現して、結果的に問題が矮小化され、性的マイノリティの文脈ですらなくなってしまうなど、齟齬が生じることもあります。
「多様な個性」という言葉はいろんなところで触れる気がします。
様々なマイノリティの課題に取り組んでいくことは大事なことです。ただ、性的マイノリティへの差別や偏見に対して社会を変える取り組みが求められている時に、「多様な個性」という言葉で、ある種、問題の根本を覆い隠してしまったり、薄めてしまったりしている取り組みを見ると、残念だと思うこともありますね。
「お互いの違いを認め合う」とか「個性を認め合う」という言葉も安易に出てきやすいと思うのですが、「認め合う」というのは対等な関係が前提になっていないかと疑問を抱きます。もちろん一人ひとりの人間関係においてはお互いの違いを認め合うのは大事なことですが、そもそも社会のなかに性的マイノリティに対する不平等や格差があり、差別や偏見が根強いため、マイノリティとマジョリティは“対等”な関係ではないんですよね。企業が社会に対して性的マイノリティをめぐる課題について訴える時には、安易に「個性」とまとめてしまう前に、現状の社会の何が問題なのか、多数派の側を変えるために何ができるかを考え、コミットしてほしいと思っています。
企業の取り組みというと、「ピンクウォッシュ」と呼ばれる問題が起こることも多いそうですが、今のお話も「ピンクウォッシュ」のひとつなのでしょうか?
「ピンクウォッシュ」とは、もともとはイスラエル政府によるパレスチナの占領という“負のイメージ”を覆い隠すために「LGBTQ+フレンドリー」を利用することを批判的に表した言葉です。つまり、不都合な課題を覆い隠すためにLGBTQ+フレンドリーを使うことに対して、批判的に「ピンクウォッシュ」という言葉が用いられていると言えます。
先ほどのレインボーカラーを使ってアピールしながら「多様な個性」という言葉で矮小化する事例のように、メッセージや取り組みが不十分だけれど、LGBTQ+フレンドリーのアピールだけはするという点については「レインボーウォッシュ」という言葉を使って批判される場合もあります。
企業が良かれと思ってやったことがレインボーウォッシュになってしまっている、ということもあると思います。そうならないように企業はどのような姿勢でどんな取り組みをしていけばいいのでしょうか?
前提として、性的マイノリティをめぐる課題を解決するために企業が何か取り組みをしようとすること自体はすごく歓迎したいと思っています。施策によって「LGBTQ+」という言葉に注目が高まり、企業の環境が整って働く人が安心できたり、適切な認識や理解が広がっていくことは望ましいことですよね。ただ、その一方で、経済的なメリットがないと性的マイノリティの権利が守られないのかとか、経済的に厳しい状況にいる性的マイノリティの人たちは見落とされがちだとか、実はいろんな問題が覆い隠されてしまっている側面もあるということは忘れないでもらいたいなと思います。また、実を伴っていないと批判が起きるということは意識してほしいです。
「実を伴う」ためにはどうしたらいいのでしょうか?
一つは、社会に対して何か発信する場合、同時に自分たちを省みることが大事だということ。社内の環境や制度ができていないのに社外へのアピールが先行してしまうと、もちろん批判される可能性があります。もう一つは、発するメッセージや取り組みが本当に当事者のためになっているか、社会の状況を変えるために資するものになっているかをチェックしてほしいと思います。「それってアピールのためだけにレインボーを使っているだけじゃない?」「自分たちの利益のためだけにやっているんじゃない?」と思われてしまわないか今一度考えてみてほしいです。
先ほどおっしゃっていた「なんのためにやるのか」ということですよね。
そうですね。とはいえ、企業も含め一人ひとりが最初から完璧に取り組みを実施できるわけではありません。だから臆せず挑戦してほしいですし、そのとき、批判の声に対して誠実に向き合うことこそが大事だと思います。なぜ批判されているのか、足りなかった視点がないか。それに真摯に向き合って改善することができるかが重要です。まずは当事者が何に困っているのか、どういう実態があるのか、「プライド月間」はどういう歴史があって何が行われてきたのかなど、知識や社会状況を考えてもらえたらと思います。
企業も個人も、社会を「巡っている」、社会を構成する主体のひとつです。だから、人権を守ることや差別に反対することは、同じ社会を共に生きている以上、企業にもその責任があるんだという視点を持つ。そうすると、自分たちの企業がどう見えるか、どういうメッセージだけじゃなく、企業を取り巻く社会をどうしていきたいかという視点を持つことができるのではと思います。
性的マイノリティの当事者ではないけれど、差別や偏見をなくすために支援・行動をする「アライ」って?
私たち一人ひとりが個人単位でできることには何がありますか?
無数にあると思います。まずは、やはり知識を得るということ。本や漫画を読んだり映画を観たりして、性の多様性について積極的に知っていくのはまずできることだと思います。たとえば、森山至貴さんの『LGBTを読みとく - クィア・スタディーズ入門』という本は多様な性のあり方や、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる世の中の「ふつう」や「あたりまえ」を疑う基礎が学べます。また、昨今特に厳しい状況に置かれているトランスジェンダーをめぐる現状についてはショーン・フェイさん(高井ゆと里さん訳)の『トランスジェンダー問題』。これは社会のトランスジェンダーをめぐる差別・偏見について深く知り、学ぶことができる本だと思います。
ほかにはいかがでしょうか?
身近な人と会話をするのも大事だと思います。同性婚に関しては年齢が高い人のほうが反対の割合が高い傾向にあるんです。当事者が面と向かって反対派の人たちと議論するのはメンタルヘルスの点からも厳しい面がありますが、そうではない人が親や祖父母の世代と話をしてみて、当事者の代わりに議論し、適切な知識を伝えることも、個人ができることのひとつです。
当事者でないからこそできることもあるのですね。
はい。性的マイノリティの当事者ではないけれど、差別や偏見をなくすために支援・行動をするような人を「アライ」と呼びます。「アライ」は英語で同盟や支援を意味する「ally」から来ている言葉です。アライは資格ではないですし、アイデンティティというよりは、「アライシップ」という言葉があるように、姿勢や態度のことだと思っています。「これをクリアしたらあなたは立派なアライです」というものではないと思いますが、例えばSNSで発信をしたり、可能であればパレードやボランティアに参加したりするのもいいですよね。制度に関心や問題意識があるのであれば、地方議員や国会議員に手紙を送るのもひとつのアクションですし、政治に関心を持って投票することも大切な行動でしょう。
アライについてとてもクリアになりました。
アライについてお話しする時にいつも伝えているのは、支援者・被支援者というような二項対立の考え方に落とし込みすぎないことが大切だということです。LGBTQ+とアライ、当事者と非当事者は完全な別物かのように捉えられがちですが、性のあり方はグラデーションのようになっています。だから、自分は当事者じゃないと思っている人もさまざまな性のグラデーションの一人だと言えます。かわいそうな人を助けるという“救世主”思考ではなく、差別や偏見が根強く残っている社会を変える主体として自らを捉え、二項対立になりすぎないということを考えると、企業も個人もうまく発信する糸口が見つかるんじゃないかなと思います。
アライとして実際に何かを変えようと動くのであれば、たとえば、個人が所属する会社などにはどんな働きかけができると思いますか?
企業に勤めている人であれば、自分の会社が性的マイノリティを含めた多様な人が働きやすい環境か考えてみて、そうでなければ人事労務の制度を変えるために社内で話し合ったり、人事に掛け合ったりするといいと思います。多様性について考える従業員リソースグループを作って行動を起こすのも大事です。
LGBTQ+の人が働きづらい環境ってどんなものですか?
「うちの会社に性的マイノリティはいない」ということを前提にしている会社はやっぱり働きづらいのではないかと思います。その背景にあるのは、いわゆる「男らしさ」「女らしさ」など、「ふつう」「あたりまえ」とされていることを押し付けられる環境、つまりシスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と性自認が一致している人)のヘテロセクシュアル(異性愛者)や、男女二元論を前提としている環境です。
本人の許可なく勝手に相手の性のあり方を暴露してしまう「アウティング」が危険であると社内に周知するのはもちろん、セクシュアリティに関する情報をどこまで伝えていいのか、伝えてはいけないのか、カミングアウトしてくれた本人への確認を徹底することがとても大切です。性に限らず、相手の秘密やあまりオープンにしていない情報を勝手に暴露しないようにするのは、すでに多くの人が実践していることですよね。その延長線上にはあるのですが、性のあり方に関しては特に機微な個人情報であると言えます。
会社はもちろん、社会の様々な場所で差別や偏見をなくしていくために、個人一人ひとりが心がけていけるといいですね。
人権という概念をもう一度見つめ直すことは、誰もがしなくてはいけないことだと思っています。極端ですが、たとえ100人中99人がその人のことを“嫌い”であっても、その人がその人であることが守られなければいけない権利が人権だと思うんです。個人の好き嫌いによって得られる権利の数が変わるものでも優先順位があるものでもありません。
多様な「違い」を持った他者が生きている社会で、それぞれの人権が尊重される状況とはどんな状態なのか。それを常に前提にしたうえで、個別のケースを見ていけるといいですよね。一つは、自分の考え方が意識的であれ無意識的であれ、偏見に基づいていないかなど、一度立ち止まって「異なる他者が暮らしやすい社会って、どういう状態なのか」を考えてみること。もう一つは、当事者がどういう状況にいるのかを知ろうとすること。この両側面が大事かなと思っています。
近頃はSNSで思ったらすぐに自分の意見が言えますが、立ち止まることも大事だということですね。
多くの人は性的マイノリティの当事者を身近に感じておらず、実体を伴わないイメージで語られていることがどうしても多くなってしまうので、何か思った時に発言する前にぐっと一度立ち止まって、「本当にそうかな?」と当事者の声を聞いたり、置かれている現状を知りに行ったり、知識を得たりしてほしいと思っています。
一方で、自分が良かれと思ってやったことで誰かを傷つけるかもしれない、誤ったことを言ってしまうかもしれないという思いから、性的マイノリティへの差別や偏見に対して発言することを躊躇してしまう人も少なくないのではないかと思います。そういう人にアドバイスがあれば教えてください。
大事な観点かつ難しいことですよね。差別したくない、相手を傷つけたくないと思うからこそ、踏み込みづらくなってしまうというジレンマがあると思います。今、性的マイノリティへの深刻な差別が起こっている状況で、誰かを傷つけたり抑圧したりする言動は問題ですが、一方で、誰しも差別をしてしまうし偏見を持っているので、もう少し小さなコミュニティで、小さく失敗できたらいいなとよく思います。学ぶということは、自分の考えが偏見に基づいていたり、捉え切れていなかったりしたことに気づいていく作業だと思うんです。
SNSへの投稿は、内容によっては炎上して大ごとになってしまうこともある。でも、少ない人数で話しているなかで語った言葉が偏見に基づいていた時に「それってあんまりよくないんだよ」と言ってもらえる関係があれば、小さな失敗で学べて「確かにこれはよくないかも、違う視点があるかも」ということに気づき、自身の認識や言動を変えていけます。だから、日頃から指摘してもらえるような関係性を身近な人と作っておくことがとても大事だと思います。
見知らぬ相手にまず投げかける前に、関係性がすでにある人と話す。これは、気軽に始められそうですね。
友達や同僚、上司など、普段からちゃんと思いや考えを伝えられる関係があれば、そして何か相手を抑圧する言葉を使ってしまい失敗したとしても、ちゃんと「ごめんね」と謝り次から変えられる。そんな関係性を周囲の人と築くことが大切ではないかと思います。
テキスト:飯嶋藍子(sou)
イラスト:トミムラコタ
編集:竹中万季(me and you)