ermhoiのオーストラリアでの気づき。ユーモア、愛、心に吹く風
ermhoiコラム連載「こころがめぐり、おどる、カルチャー」
vol.4
日常を離れたときに、なんだかすっと視野が広がって、靄がかっていた心に光が差す。そんな体験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。この連載『こころがめぐり、おどる、カルチャー』では、ソロをはじめ、Black Boboiやmillennium paradeなど多様なかたちで音楽表現を行うミュージシャンのermhoiさんが、その時々のこころに寄りそいながら、めぐりをうながしてくれるカルチャーを紹介。第4回目の今回は、年始にオーストラリアで執り行った自身の結婚式で感じたこと、オーストラリアの歴史や文化、人々に触れて生まれた考えや非日常だからこそ見えたものについて綴っていただきました。
オーストラリアに向かう機内で観た『女王陛下のお気に入り』の力強さ
12月31日。ふう。ライブと制作、そしてオーストラリアで行う結婚パーティの準備など、師走が本当に師走らしく過ぎ去っていったな。振り返って一息。
掃除! そば! 紅白歌合戦! そしてようやく「明けましておめでとうございます!」
1月1日。パッキング、飛行場。出発直前にフライトキャンセルがあり、待ち時間がだいぶ延びるなど、道中結構なトラブルもあったが、36時間後、オーストラリアに到着。
もう一度、ふう。一息。
飛行機で観たヨルゴス・ランティモス監督の映画『女王陛下のお気に入り』(2018)がとっても良かった。極端なカメラワークに、イギリスのどんよりした天気がよく伝わってくる色温度、豪華絢爛な衣装やセットに目は釘付け、そこに飛び込んでくる驚きのストーリーライン。とっても魅力的な要素だらけ。何よりも歴史物でありながら、女性が力を持ち、男性の影にいるどころか、政治の前線に立って意見を述べる姿が非常に刺激的である。
さて、オーストラリアに来てから不思議な安心感を感じている。ここにいてもいいよ、あなたの時間感覚で生きてもいいよ、とほんのりとした自由を感じている。もちろん日本という日常から離れているからこその自由なのかもしれないが、街ゆく人とのコミュニケーションのなかには人懐っこさとユーモアが詰まっていて自分が求めさえすればすれ違う人と交流することは難しくない。老若男女、上下関係なども一切感じない。一体、全員が友達のようなこの空気感はどこからくるのだろうか。
オーストラリアの人々からの学び。潜在的な不平等に気づかされた瞬間
本来この大陸で暮らしていたAboriginal people(「アボリジニ」と呼ばれていたが差別的であるとして、Aboriginal peopleやFirst nationという呼称が使われるようになってきた)などの民族の歴史についてはまだまだ勉強不足だが、彼らの大地に入植したWhite Australiansの歴史はまだ250年ほど。アボリジナルの人々の人権や経済格差など今も問題は山積みだが、そういった問題の解決へと取り組む姿勢があらゆるところに見て取れる。たとえば飛行機。着陸直後に流れる歓迎のアナウンスのなかで土地にもともと暮らしていた民族の名前が伝えられ、その歴史へのリスペクトを表す。これは航空会社が配慮しているわけではなく、スポーツの試合やあらゆる講演会、テレビ番組など至るところで聞くことができる。
学校での教育のなかでも、先住民族の迫害の歴史を必ず学ぶ。これは最近の話だが、建国記念日の1月26日、通称「Australia Day」は、アボリジナルの人々にとっては侵略の日だから祝うべきではないという意見が尊重され、個々人が選んで別の日に休日を振り替えることができる制度を多くの企業が取り入れ始めている。上に挙げた例はあくまでも象徴的なものだが、『女王陛下のお気に入り』を見て私が女性のエンパワメントを感じたように、生活のなかで歴史的なトピックに触れる機会が、潜在的な差別問題について考えることにつながるのは間違いない。
さきほど挙げた例たちはもちろん、人種だけでなく性別、年齢、さまざまな違いによって起こる差別に対しても何気ない毎日のなかで触れることができる。家族間で執り行われた結婚パーティでは、スピーチを行う人が男性だらけであることに気づいた司会者が、女性のスピーチも必要だと、何人かに声をかけていた。公なイベントでもないし、彼はフェミニズムのアクティビストというわけでもないのに、過去のやり方に馴染んでしまって無意識な不平等に気づきもしない私たちに喝を入れてくれたようで、その意識の高さに私はとても感動した。
幸せな生き方を教えてくれるユーモアと愛、「風通しの良さ」とは?
もうひとつオーストラリアで好きなところ。メディアやジャーナリズムが独立していて、政治家に楯突いたり、日本ならこの分野の番組を作るのは難しそうだなっていうトピックだったりまでカバーしてしまう。
たとえば、ABC(オーストラリア放送協会)のシリーズ『You Can’t Ask That?』では、今でこそYouTuberたちが取り扱うようになって多くの人の目に触れるようになったであろうメンタルヘルスの問題や、さまざまな職業に就く人、いろいろなセクシュアリティや人種、子どもや老人、宗教家、犯罪者など、あらゆる人たちに対して、一般応募で集まった質問(なかにはギリギリアウトな質問も)を聞いていく。怒らせてしまいそうなデリカシーのない偏見に満ちた質問ですら、フラットに問い、参加者もムッとしながらも答えていくことで、理解が深まったり、共感を持てたり、あらゆる問題提起に個人レベルでつながっていって、とってもいい番組だなと思って観ていた。
いい意味で空気を読まなかったり、配慮しすぎないけどリスペクトはしたり、そういうバランス感覚って、生きていくなかで大事だと思っている。そのためにはユーモア(自分はおもしろくなくてもいいけど、おもしろさを受け入れる心の持ち様という意味での)、風通しの良さ、そして愛を持てば、自分も周りの人も最低限幸せに生きていけるんじゃないかなって感じている。オーストラリアの空気感は、そういうところに由来しているんじゃないかなとも思った。
自分の日常から少しだけでも離れると、思考に爽やかな風が吹いてなんとなくカラッとした気持ちになれるのが非常に好きだ。そういう時って落ち着いて創作できるし、本も読める。心が健康になっている証拠だ。残り数日の滞在のなかで私の心にできるだけ爽やかな風を取り込もう。
文・メインビジュアル:ermhoi
編集:飯嶋藍子(sou)