社会問題に対し行動する佐久間裕美子さんに聞く、誰かを踏みつけない生き方
自分をとりまくさまざまなひと・もの・ことについて知り、考えるための場所
せかいを、めくる
20年以上ニューヨークで暮らし、アメリカで起きている変化を日本の読者に届けてきたライターの佐久間裕美子さん。2014年には『ヒップな生活革命』で金融危機後のインディペンデント文化の開花について書かれ、2020年には『Weの市民革命』でパンデミックや大統領選の最中で人々の「物を買う」行為が変化し、一人ひとりが声を上げはじめた姿を書かれています。
こうした変化は、決して遠くの世界で起きていることではありません。日本で生きているわたしたちも、ジェンダー不平等や気候危機、人権の問題などをニュースで目にすることがあるはず。日々の生活のなかで、こうした問題とどのように向き合い、行動していけばよいか。「これらの問題が自分の目に見えるようになったのは、つい最近のこと」と話してくれた佐久間さんが、社会で起きている変化に気づき始めたMEGLY読者に向けて、文章を寄せてくださいました。
できるだけ誰のことも踏みつけないで生きたいけれど
2014年に『ヒップな生活革命』を書いて以来、地元経済を応援しよう、よりエシカルな購買活動を、ということを、様々な方法で言い続けてきた。こうしたことは、ときに「意識高い系」と揶揄されたし、エシカルな商品は高すぎる、富裕層の趣味だ、という批判も受けてきた。自分自身も、一人の消費者・生活者として、そのときそのときで、見えていなかったものがたくさんあったと思う。今、自分は「できるだけ誰のことも踏みつけないで生きていきたい」と思っているが、社会や経済の構造を勉強すればするほど、私たちは生きているだけで何かを踏みつけているのだと実感する。
思い返してみれば、自分がこういうことを初めて強く意識したのは、ウォルマートというアメリカ最大の小売チェーンが、従業員に最低賃金やサービス残業を強いているのを知った2000年代前半のことだった。自分が暮らすニューヨークには、ウォルマートはなかったが、進出の計画が持ち上がり、反対運動が起きた過程で、2005年に公開されたロバート・グリーンウォルド監督の『ハイ・コスト・オブ・ロー・プライス』(「安い価格の高い代償」の意。邦題は『ウォルマート~世界最大のスーパー、その闇~』)というドキュメンタリー作品を観たからだ。ウォルマートはサービス残業のおかげで、どこよりも安いピクルスを売ることができている、そう知ったときに感じたのは、そのピクルスを食べたくない、という嫌悪感だった。
ウォルマートのニューヨーク進出計画は頓挫したけれど、同時に、多くの先進国が「安い」を求めて製造業の拠点を海外に移し、その後、ファストファッションの時代がハリケーンのごとくやってきた。2015年には、『ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション 真の代償』という作品が公開され、開発国の消費者たちの「安い」への欲求が、途上国の公害や健康被害につながっているさまを目の当たりにした。
こうしたことは、どこか遠くの世界で起きていることだと思われてきた。ところがそんなことはない。私たちは、「もの余り時代」を生きてきた。都会なら、どこの街角にも便利なスーパーやコンビニエンスストアがあって、大抵のものは手に入る。なかったらインターネットに接続し、ほしい物を見つければ、ワンクリックで翌日、翌々日には自宅のドアで注文した商品を受け取ることができる。大量に生産された商品が、自分の手に届くまでのプロセスの背景にどんな人々のどんな暮らしがあるのか、想像することは簡単ではない。けれど、世の中に流れてくる情報によって、私たちの暮らしが便利になった過程で、大量の低賃金労働者が生み出され、技能実習制度という欺瞞のもとで、海外からやってきた労働者が過酷な労働条件で、恋愛や結婚や妊娠といった基本的人権を保障されないまま、働いていることを学びのなかで知った。
賃金格差は生死に関わる問題だ、と考えなくて良い人たちには特権がある
人権の問題だけではない。利便性や安さを追求し、企業利益を最大化しようというドライブによって、環境コストはうなぎのぼりに伸びたし、今、私たちの目の前に広がる温暖化、気候変動の危機的状況は、自然の脅威に近い地域に住む国内外の人々の暮らしを脅かし、人間が安全に住むことのできる地域を猛スピードで侵食している。
国連の調査によると、日本で「気候変動は人間の経済活動に起因するものだ」と考える人の割合は53%。世界平均の77%よりも、先進国の中でも異常に低い(*1)。もともと自然災害が多かった島国なだけに感覚が麻痺しているのかもしれない。政治や教育が、科学者たちが警告する気候危機の深刻さについて、明確に伝えてこなかったからかもしれない。理由はなんであれ、危機はすぐそこに迫っている。
何はともあれ、人々を食べさせるために経済をまわさなければならない、という考えがある。気候変動や所得格差やジェンダー平等に対する対策は、そのあとで良い、と考える人たちがいる。けれど、そもそも、こうした問題を経済から切り離すこと自体がナンセンスだ。増える災害を前に、生活の基盤が脆弱な貧困層がもっとも煽りを受ける。地球の温度が上がっていく中で、エアコン代や水道料金を捻出できない人たちはどうなるのだろう? 同じ仕事をしているのに賃金を低く抑えられている女性やシングルマザーたちはどうすれば良いのだろう? 賃金格差は生死に関わる問題だ、と考えなくて良い人たちには特権があるのだ。
社会の様々な不平等、見えていないことはまだまだたくさんある
これらの問題が自分の目に見えるようになったのは、つい最近のことだ。書く、という生業で、自分を食わせることができる自分の特権性については、ぼんやりとした自覚はあったけれど、コロナウイルスの到来によって、自分の仕事や労働環境をコントロールできるという状況を明確に理解した。
大学を卒業してすぐにアメリカに渡り、短い会社員生活を経て独立し、長いこと、自分の面倒だけを見れば良いと思ってきた自分には、社会の様々な不平等が見えなかった。ジェンダーの平等は当たり前の権利だと思っていたが、ニッチな世界に生きる自分には賃金格差は無縁だったし、フェミニズムは白人女性たちが独占する学問で、アジア人である自分には関係のないことだと思っていた節がある。
アメリカでは、#MeToo、#BlackLivesMatterや#StopAsianHateのムーブメントが起きて、ようやくフェミニズムはインターセクショナル(交差的)でなければならない、誰も取り残してはならない、という考えが主流になった。コロナ禍が起きたときには、エッセンシャル・ワーカーたちの労働条件を守ろうという機運が生まれたし、ファッションの世界のアクティビストたちは、途上国の工場を守るために、ファッション企業に契約を守ることを要求した。
その体験を経て、自分は今まで以上に自分が、物を買うことを真剣に受け止めるようになった。コンピュータや電話を以前のように新調しなくなったし、企業のことをいちいち調べるようになった。正直、こういうことはとても面倒くさいし、自分の手や口に入るものの透明性をすべて担保することは不可能だ。きっと今だって知らずに、どこかで踏みつけられている労働者の抑圧や虐待に加担してしまっていることはあるだろう。
所得格差や医療へのアクセスの格差など、これまでのアメリカ社会の不備が、クライシスによって可視化され、急速に改革が進んだことをルポした『Weの市民革命』を書いたあと、読者とつながるオンラインの会合を設けたことがきっかけとなって、私の本を読んでくれる人たちの生活や暮らしの悩みを知る機会を得た。長年働いているのに低賃金労働者として生活の不安を感じている人、名前があるのに会社で「派遣さん」と呼ばれている人、会社やパワハラやセクハラにあった結果、メンタルを崩して療養生活を強いられている人、行政の現場で公務員と同じ仕事をしているのに、派遣労働者扱いで雇用の保障のない人、不平等な労働環境に声を上げたら、会議室で男性職員に囲まれて怒号を浴びせられた人……世の中にはこれだけ踏みつけられている人がいるのか、と気がつく一方で、自分の世界がまだまだ小さいこと、見えていないことがおそらくまだまだあるのだろうということに思いを馳せている。
社会構造を変えるために、声を束にする運動に参加しよう
自分は誰のことも踏みつけたくないーーそんな気持ちから、社員の福利厚生よりも利益を優先したり、労働条件が悪かったり、ジェンダー平等に消極的だったり、ヘイト発信をしていたり、五輪をスポンサーしたりする企業は自分がお金を使う対象から排除してきた。まずは「知り」、それをシェアすることが自分にできる精一杯のことなのだと感じてやってきた。
けれど、今は、それだけでは足りない、と感じている。バイコット(BUYとBOYCOTTからの造語、よりよい社会に向けて取り組んでいる企業の商品を購買する運動)はある程度の有効性を持つけれど、今私たちの社会の持続性を揺るがす経済的不均衡や、猛スピードで進行する気候危機を前にすると、バケツに水滴を垂らすほどの効果しか持たない。
経済不均衡も、ジェンダー不平等も、気候危機も、根っこは同じである。権力や特権性を持つごくごく一部の人たちが、自分たちの利益を最優先して、一般労働者を足蹴にして立っている。そして、多くの傍観者がそれを看過することで補強している。その結果、私たちが生きる社会はもうボロボロだ。人も、自然も。この世の中に、間接的に誰かを踏みつけていない人はいないだろう。けれどだからこそ、根本からシステムを変えなければならない。社会のトップに座る上部だけが決定権を持つ今の社会構造を変えなければならない。自分たちに何ができるだろうか? おかしいな?と思ったことに声をあげる、SNSのデモに参加する、誰かの何気ない、けれど人を傷つける可能性のある一言に「私はそうは思わない」と異議を唱える、周りの友達とディスカッションする、ジェンダー不均衡に取り組む企業を応援する、労働者を大切にしない企業にお金を使わない。今すぐできる小さなアクションはいくらでもある。一人一人のアクションは小さくても、束にすれば大きな声になる。「何も変わらない」と諦める前に、声を束にする運動に参加してほしい。
※1:グローバル・マーケティング・リサーチ会社Ipsosが実施したレポート「EARTH DAY 2020」参照
文:佐久間裕美子
イラスト:あないすみーやそこ
編集:竹中万季(me and you)