選んだ道を正解にする。藤井明子さんが人生のめぐりや美容で積み重ねてきた“自分の選択”
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こころが、おどる
四季が移ろい変わっていくように、人生もまた、さまざまな季節をめぐります。
寒く苦しい時期を乗り越え、花を咲かせ輝くとき、そこに宿るのは、確かなその人らしさ。日々、体のめぐりや心のめぐりを意識しながら暮らしている方々に、現在のスタイルや考え方を得るまでの人生の“めぐり”について聞いてみましょう。
今回登場いただくのは、スキンケアブランド「FATUITE(ファチュイテ)」ディレクター・藤井明子さん。航空会社で働きながら、美容インフルエンサーとして活動をスタートし、2021年にブランドをローンチ。一見キラキラと華やかな世界で生きてきたように思えますが、その裏側には、さまざまなつらさや葛藤の日々もあったといいます。今の藤井さんがあるのは、どんなことを乗り越え、大切にしてきたから? 今日までの人生の歩みを振り返りながら、藤井さんの“めぐり”について伺いました。

つらい時期に気づいた「自分で選べる」ということ、美容の面白さ
―航空会社に勤務しながら、モデルや美容インフルエンサーとして活躍されてきた藤井さんですが、そもそも美容に目覚めたきっかけは何だったのでしょうか?
藤井:高校生の頃からサロンモデルをしていたり、航空会社ではきれいな先輩方に囲まれていたりしたこともあって、美容への意識は早くからあったと思います。だけど、本当に美容の面白さを知ったのは、30代になってから。
航空会社で働いているというと、高給取りだと思われがちなのですが、実際はそんなこと全然なく、当時は自分が自由に使えるお金は本当にわずかでした。できる美容といえば、1000円程度で買える大容量のシートマスクを使うことくらい。それでも毎日続けていたら、肌が変わっていって。「時間をかけてちゃんとケアすれば、効果があるんだ!」と感動したんです。それから、自分が買えるもの、本当に効果を感じたものを、少しずつInstagramで発信し出したのが始まり。20代前半から30代半ばぐらいまでは、仕事もプライベートもしんどい時期で、こうした美容の時間は癒しにもなっていました。

―一見華やかな世界でキャリアを積まれてきたように見えますが、大変な時期もあったのですね。
藤井:会社の同僚にはお金持ちのお嬢様が多く、同じお給料のはずなのに、みんなブランドバッグを持って、華やかな生活を送っていて。かたや私は実家にお金を入れながら必死に働く日々。仕事も朝から晩まで、時間も曜日も関係なしで、とにかく大変でした。この仕事をこの先ずっと続けていくのか、未来も不安でしたし、かといって転職する体力もなく、同僚とグチを言い合っては自分を慰めていました。その頃の私は、全部が「他責」でした。今自分がこんなにつらいのは、会社のせい、上司のせい……。そういう思考がさらにつらさを生み出していたのだと、今になってわかります。
―今はとてもポジティブに見える藤井さんですが、そうしたつらい時期をどのように乗り越えてきたのでしょうか?
藤井:とても尊敬している先輩に、あるとき「変えたいんだったら自分で行動を起こさなきゃ」と言われたんです。ヤダヤダ不満を言っているだけでなく、じゃあどうしたらよくなるのか、そこまで考えて提案してみなさいと。それで実際にそうしてみたら、驚くくらい状況が変わっていったんです。こんなに大きい会社でも、小さいところからではあるけれど、自分の思うように変えていけるのだと自信がつきました。そこから徐々に責任のあるポジションを任されるようになり、仕事がどんどん楽しくなって。「他責」から「行動すれば、自分で変えられる」という考え方になったことは、人生ですごく大きなターニングポイントになったと思っています。
今自分の身になっていることや、形になっていることって、長いこと続けてきたことだけ
―約20年の会社員生活に終止符を打ち、2021年にはご自身のブランド「FATUITE(ファチュイテ)」を立ち上げられましたが、どんなブランドなのでしょうか?
藤井:30代になった頃、肌悩みが増えてきたのに使えるお金は限られていて、高価な美容液やクリームは続けられない……と思っていました。そんな人でもライン使いができる金額で、1本使い切った頃にはちゃんと効果も感じられる。あの頃の自分に「これだけ使っていたら大丈夫!」と言えるものが作りたくて、「FATUITE」を立ち上げました。
―長年勤務した航空会社を辞めることは大きな決断だったと思いますが、迷いはなかったのでしょうか?
藤井:最後は本社で大きなプロジェクトの一員として働いていたのですが、その区切りがつくのが、ちょうど働き始めて20年目という節目だったんです。その頃にはインフルエンサーやモデル業で生活できそうな目処が立っていたので、「卒業」を決めることができました。
その頃からなんとなく、インフルエンサーとしての一旦のゴールは自分のブランドを作ることなのかなというイメージはあって。だからそこに向かって一歩ずつ進んでいきました。このふんわりとでも「目標を定める」ことは、人生においてすごく重要なことだったと思っています。
例えば、航空会社に入社したばかりの頃、私はすべてのカテゴリのJOBをできるようになることが一つの目標でした。でも、そこに辿り着くには10年以上の経験が必要になる。だからとにかく一つひとつ、一年一年、目の前の仕事をクリアしていきました。そうやって実際に目標を達成すると、それがすごいことでもなんでもなく、当然のことになるんですよね。
―目標を掲げても、途中で挫折してしまうという人は少なくないと感じます。藤井さんは「あきらめてしまおうかな……」と思ったことはないのでしょうか?
藤井:例えば、富士山に登るときに、頂上だけ見ていたら、すごく遠く感じて、しんどくなってしまうと思うんです。でも、頂上に続く道のりを細かく区切った一段目を見ていると、そんなに苦しくないし、一段、また一段と自然に登っていけると思います。
振り返ってみれば、今自分の身になっていることや、形になっていることって、長いこと続けてきたことだけなんですよね。本当に日々少しずつ積み重ねて、試行錯誤を繰り返してきたことがあって今がある。だから私、今までしてきた苦労は全部、自分の糧だと思っています。
自分が選んだ道を正解にすればいい。人生の分かれ道で決めたこと
―仕事が充実する一方で、二度の結婚と離婚を経験。きっと精神的につらいこともあったのではと思うのですが、それもまた「糧」となっているのでしょうか?
藤井:特に一度目の離婚は、大きな学びになりました。20代の頃は「30歳までに結婚しなければ」という謎のプレッシャーがあって、最初の結婚は、半分焦るような気持ちで決めてしまったんです。結果、うまくいかなかった。
離婚に悩んでいる時期は、もちろんとてもしんどかったです。当時は離婚は恥ずかしいことだと感じてしまっていて、祝福してくれた人や家族に申し訳ないという思いもありました。「このまま続けることと離婚はどちらが正しいのかまったくわからない、もう誰か決めてくれないかな? 強めのアドバイスをくれる人がほしい、もう占いにでも行こうかな」と血迷い続けて、約1年くらいが経ちました。そんなとき、悩む私にある友人が「どっちが正解かなんて、まだわからなくない?」と言ってくれて。本当にそうだと思いました。「だったら自分の選んだ道を正解にしたらいい。自分の選択を後悔しないようにやっていけばいいだけだ!」と、そこで心が決まったんです。

―ここでも「自分で選ぶ」ということが大事だったんですね。
藤井:私は、そのときの自分の選択を心からよかったと思っていますが、もしも彼と共に生きる道を選んでいたのなら、それはそれで正解にしていたと思います。どっちも間違いではなくて、大切なのは、自分で選んで、納得できるようにするということ。いつまでも「あっちを選んでいればどうなったんだろう? こんな選択肢をした自分は間違っていた!」と後悔して悩み続けることが、私にとっての一番の不正解なんですよね。
―そうした人生の決断をした経験も、きっと大きな糧となって、今の藤井さんを形成しているのですね。
藤井:私はきっと、「もう一度あの苦しい思いをしますか?」と聞かれたら、「する」と答えると思います。どんなに些細なことも、つらさも、その全部が今の私になるには必要だから。
苦しい頃、自分の中に「ミニ藤子」という存在もできました。苦しい時、自分の中にミニ藤子という存在が出てきます。SNS上で、私=藤子は「スーパーポジティブでどんな困難も前向きに捉え、経験値として糧にしていく」という発信をしているのですが、素の自分はそうでもない時もあります(笑)。そんな時は、「藤子ならどんなふうに考えるだろう?」と心の中のミニ藤子に問うのです。自分の思考にネガティブな癖がある場合は、「とてもポジティブなあの人だったらどんなふうに考えるだろう?」と想像してみることも、何かを解決できるヒントになるかもしれません。
日々のケアは、10年後の自分に贈るプレゼント。ちょっとずつの積み重ねを大切に続けて
―さまざまな人生の経験を積み重ね、今や「奇跡の44歳」とも呼ばれる藤井さんですが、日々、美容や健康のために取り組んでいる習慣はありますか?
藤井:いくら外側から美容を頑張っても、やっぱり土台を作るのは毎日の食だと思っています。航空会社に勤務していた頃は食生活がボロボロで、週3日ファーストフードなんてこともよくありました。そんな生活を改めるきっかけになったのが、会社を辞めてすぐの頃。人生最大の肌荒れを起こしたんです。思い当たるのは、忘年会シーズンで暴飲暴食を繰り返していたこと。そこから食事を改善しようと一念発起したんです。
日々の食事は、小麦や脂質、糖質を減らすようにし、お酒も控えるように。すると自然に肌荒れは治り、透明感も出てきました。それを機に健康的な食事に興味を持ち、本格的な食事改善プログラムを受けてみたところ、さらに嬉しいことに体重が5kg落ちて、40歳を過ぎてもちゃんと体は変わるんだと、自信もつきました。ただ、こうした食事改善や食事制限は、続けてこそ意味があります。大事なのは無理をしないこと。例えばランチにパスタとリゾットがあったなら、小麦のパスタではなくお米のリゾットを選ぶとか、ケーキと和菓子があったら和菓子にするとか、そういうちょっとずつの選択の積み重ねが、必ず変化につながります。
手間も時間もかからないのが魅力。大好きな炭酸ケア
―日々のケアアイテムの一つとして、「MEGLY」をご愛用くださっている藤井さん。日頃、どのような使い方をされているのでしょうか?
藤井:炭酸の美容アイテムは大好きで、これまでもいろいろと試したのですが、30分以上置かなきゃいけない炭酸パックとか、結構面倒なものが多いんですよね。そういうものって、すごく気合を入れないと結局手が伸びないし、続けられないんです。でもMEGLYは、とても簡単に、しかも時間をかけずに炭酸の効果が得られるのが魅力。洗面所の手の届きやすい場所にいつもスタンバイさせています。顔はもちろん首筋やデコルテまでたっぷりと炭酸を浴びた後は、気分もきゅっと引き締まるので、イベントや撮影など、ここぞというときのケアにも欠かせません。
―食生活も美容も、やはりコツコツと積み重ねていくことが大切なんですね。
藤井:今の自分の選択は、数年後の自分へのプレゼントだと思うんです。逆に今、良くないことを積み重ねてしまえば、数年後の自分への爆弾になってしまう(笑)。目先だけではなく、5年後、10年後の自分の姿をぼんやりでもいいので思い描いておくと、今日の自分の行動が変わってくるのではないかなと思います。
人生は、楽しんだもん勝ち。今あるものに目を向ければ十分幸せ
―藤井さんにとって年齢を重ねても美しくいることは、どのように大切なのでしょうか? そのモチベーションの源が知りたいです。
藤井:「もうおばさんだから」で、一括りにされるのって、すごく嫌なんですよね。たかだか40歳なんて、人生百年なら折り返してもいないはずなのに、年齢を理由にいろんなことを諦めてしまうなんて、すごくもったいないなと感じます。ただ、そう思ってしまうのも、日本にはまだまだ「若い方がいい」という風潮が強くあるせいだという気がします。私自身、30歳になるときも、40歳になるときもすごく怖かったですし、周りを見渡してもそういう女性はとても多い。だから、「歳を取るのも怖くない」「こんな40代がいるんだったらまだ頑張れる」と希望を持ってもらえるように、まずは自分が体現できたらと思っているんです。
でも、シワが増え、体型が変わっていくことを受け入れ、楽しく過ごす道を選んだっていいと思っています。一番もったいないのは、自分から何も動かずに、「私なんて……」と楽しめていないこと。一度きりの人生、楽しんだもの勝ち。どっちを選んだって「私はこの人生、好き放題やって超楽しかった!」と、思えるのが一番いいですよね。
―女性は特に30代を過ぎると、キャリアや結婚、出産など、さまざまな人生の選択にぶつかりがちです。藤井さんのように、人生を自分らしく前向きに人生のめぐりに乗っていくには、心にどんなことを留めておくとよいでしょうか?
藤井:今の私は「44歳、独身、バツ2、子なし」。字面だけで見れば、「絶望」だと思う人もいると思うんです(笑)。でも、ないものに目を向ければ、いくらでも絶望ってできるんですよ。私だって、「あのときどうすればよかったんだろう」「こうしていれば」と、考え出したら、どんどん転がり落ちてしまうと思います。でも今の私は、素敵な仕事もできていて、応援してくれる人がたくさんいて、家族もみんな元気で、飼っている猫も可愛くて……「あるものに目を向ければ、私は超幸せだよ!」と思ってる。そしてその幸せは、今日までの私が選んできた結果なんですよね。どんなときも、自分で選ぶことをあきらめないでいたいですね。
取材・文:秦レンナ
写真: 飯本貴子
編集:竹中万季(me and you)